『主人公は僕だった』


『主人公は僕だった』 監督:マーク・フォースター 脚本:ザック・ヘルム 出演:ウィル・フェレル エマ・トンプソン ダスティン・ホフマン

自分の中の客観野郎がすごい嫌になるときがある。本能というか、直感的に動けない自分がもどかしくなる。誰だって、さっさと踏み出せばいいのにあれこれ考えてしまう自分にイラついたことがあるはずだ。「ほら、ここは何も考えずにいくべきだろ!」とか「さぁ、てめえがやりたいようにやるんだ!」とか自分を自分で鼓舞してる時点でなんか終ってるでしょ。世界に組み込まれるということ、それはこの世界を生きてく上での“安心”をえるということである。生きるとは何か、わからないなら尚更だ。吉良吉影の幽霊も言っている。

「これからどうするのか。それもわからない。ただ…永遠に時が続くというなら…仕事を生きがいにしておけば幸福になるかもしれない…」

ここでの、“仕事を生きがいにして”とはつまり世界のルールに従うことだ。ただ主人公の場合永遠ではない。それに気付いたとき主人公はどうするのか?世界に組み込まれ、ただ生きていたときも、決して不幸ではなかった。しかしこの人生には限りがあることを“考えて”しまったのだ。
主人公は、自分を自分で鼓舞する。自分に死をつきたててまで、自分を奮い立たせようとする。そしてそれは、いつものかっちょ悪い僕自身である。僕は、少し恥ずかしくて少し励まされてる気持ちで、この映画を観た。主人公はおのれの人生に向き合い、作家は作品と向き合った。あまえはどうする。