『めがね』

めがね(3枚組) [DVD]

めがね(3枚組) [DVD]

居心地の悪さと気持ちいいものが同居している点で、あきらかに『かもめ食堂』とは違った。

『めがね』 監督:荻上直子 出演:小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研 

(ネタバレ)

死を想いながらも、どこかで死を怖れている登場人物たちに、もたいまさこが「海」=「死」の側で安楽死を与える、正確には安らかな死のイメージを与えるっていう映画だった。かもめ食堂というファンタジーは「生」の先にあったが、『めがね』のファンタジーは「死」の先にあるっていう。ちまたできゃーきゃー言われてるような、生易しい映画じゃなかったぞ。おい!

ことさら言うことじゃないと思うけど、「死を想う」ことと「死」そのものは別物であって、それどころかその間には深い溝すらあるように思える。「死」から連想するそのひとつに「安らかな」イメージがあるってことではなくて、「死」という存在から余計なものを取っ払った、純化された「死」は、自然と「安らかな」イメージに辿り着くんではないか。海は「死」の存在そのものであり(実際小林聡美は海は何も無いからいいといった)、その側で死を想うハマダの住人たち、彼らは「死」の側にはいるが、決して一番近い場所で「死」を享受している者たちではない。間に越えられないものがあるからこそ、ずっと「死」の側にいるのだ(ハマダの住人はどこか苦しそうである)。そしてだからこそ、もたいまさこがいる。もたいまさこは彼らの抱く「死」のイメージから、余計なものを取っ払ってくれる。

かもめ食堂というファンタジーを支えているものは「抗うこと」=「生きる」ことである。たびたび挿入されるプールのシーン。これはかもめ食堂に「先が見えた」ときに必ず登場する場面であるが、同時にこの映画唯一の「不安」を表している場面でもあった。その「不安」に、この世界(かもめ食堂)の創造者たるサチエ(小林聡美)の裏でのふんばりが垣間見えたのだ。そう、ハマダと対極にあるのがかもめ食堂である。そして『めがね』での小林聡美も同じく「抗う者」である。
その小林聡美が、もたいまさこを受け入れてしまう。その最初の敗北、自転車のシーンがとても切なかったのは、僕が「夕暮れにたそがれる」単純なヤツだからだけではない。僕がまだ「抗う者」の側にいるからだ。そしてもたいまさこのイメージを少しでも「いいな」と思ってしまったからだ。危険な映画である。

「抗う者」が「死」から遠く、「死を想う者」が「死」に近いわけではない。この映画でもたいまさこと約束を交わしたのは小林聡美のほうであった。小林聡美もたいまさこを受け入れ「死」を決断する。そしてハマダの住民も続いたのだろうか。ラストシーン、ハマダの住民がどこか解放されたようにみえるのは、越えられないものを越えたからに他ならない。