『デジャヴ』

デジャヴ [DVD]

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『デジャヴ』 監督:トニー・スコット 出演:デンゼル・ワシントン

デンゼル・ワシントンがすげー良かった。もう、これに尽きる。特に何が良かったかというと、とにかくこの映画ものすごくサクサク進むんだよな。理屈置いてけぼり。でも有無を言わせない。嵐のように通過して後は何も残らない類の映画ではなくて、バキバキのショートカットで猛進しなければ、この映画の意志は存在すらしえなかったのではないか、そんな映画である。当然のことであるが、理解することと納得することは違う。ゆえに物語の書き手は事実を最短ルートでは運ばないだろう。物語は納得が必要だからだ(もちろん「わからない」ことも理解と納得がある。「今はまだ明らかにはならない」という納得である)。だけどもこの映画は、(なんということだろうか)理解が半々で、納得が100%なんだよ!久しぶりに映画で「ぐいぐい持っていかれる」感じを味わったよ。んで、その要が主人公ことデンゼル・ワシントンなのです。主人公というものがすべからくそうであるように、この映画の思いというものをまさに「体現」しているのです。スタローンやシュワのような肉体的なタフさではなく、信念としてのタフさ。そこにグッときた。
私たちが現在にいる限り、常に後悔から始まる。現在に常に過去があるように。それは変えようがないことだ。だけどもそれはこうとも言えるだろう。後悔とは、過去への意志であると。だとしたらそれは、まんま未来の意志でもあるんじゃないだろうか。この映画を観てそんなことを思った。常に後悔から始まる。もし現在のこの意志を過去に届けることが出来たならば、その過去が現在の私に追いついたとき、私はそれを信じることができるのだろうか。タイプリープものは数多くあれど、こんなにも力強く「過去」に向かう意志を示した映画に、そうは出会えないと思う。あるいは過去に対する主人公の迷いなき眼差しについて。理屈を越えて「現在」と「過去」がくっきりと浮かび上がる映画とでも言おうか。理論としての過去、つまり逆方向に進んだ先の場所ではなく、過去が歴然と過去である場所、それは僕らに「起こったこと」。それを変えるということはどういうことか。(あるいはトニー・スコットはこの映画をニューオリンズ市民に捧げた。)

もう一度。常に後悔から始まる。もし現在のこの意志を過去に届けることが出来たならば、それを受け取った過去が現在の私に追いついたとき、私はそれを信じることができるのだろうか。この言葉を、あなたの進行方向に引き伸ばしてほしい。きっと、それが未来を想像するということ、だと思う。