『スカイ・クロラ』


おめーそれ、何千回かんがえた?

スカイ・クロラ』 監督:押井守 原作:森博嗣 制作:プロダクションI.G


詰まんなかったけどやっぱ終盤あたりからゆっくりと世界に惹かれていった気がする。主人公が世界のカラクリに気付いて、ラストの行動に至るまでって実際どんくらい経ってたの?それこそ間に永遠かのような長い長い変わらない毎日を過ごしたかのようでもあるし、(物語として実直という意味で)きちんと次の日のようでもある。前者であれば、ラストの行動(キル・マイ・ファーザー)は、昨日がすべて「いつかの俺」になるような過去とは分断された、永遠の日々からすればほんの一瞬の「気まぐれ」だったかのように見えるし、後者であれば、過去の感情と今の行動がはっきりと接続された「決断」としてそれは映るのだ。今日という「気まぐれ」と、昨日の結果としての今日という「決断」。どちらでもあるような気がするし、むしろそれらが混在して、くりかえし灯っては消え、永遠の世界は回っているのか。逆を言えば、今日の俺の決断は、永遠に続く毎日からすれば、外灯にアタックかける虫のようにバチンと、いつかの「気まぐれ」と何ら変わりないわけで、冷たく恐ろしい世界でもある。手の触れれる場所はぼんやりとしてるんだけど、その下で不寛容で決して揺るがない規律が、地を動かしてるような。そんな世界を終盤はうまいこと表現してたんじゃないだろうか。
あと、戦闘機のシーンは言うまでもなく普通にかっこよかった。空中でどうゆう戦い方すんのか知らないけど、何より「相手の面に、自分の先っちょを見せたほうが勝ち」っていうわかりやすさが良かったよ。晒したほうが負けっていうシンプルさが良い。この割とハッキリした勝ち負けっていうのは、もっと言えば、ぼんやりとした毎日の対比として「はっきりとした生死」を示しているんじゃないのか。そして「はっきりとした死」は今日を色取るかもしれないけれど、それこそ外灯にアタックかける虫のようにバチンと、一本の線をつくる無数の点のように、いつもの何万回目かの毎日と何ら差異はないのだ。

昨日と今日は違う。今日と明日もきっと違うだろう。いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことが出来る。いつも通る道だからって景色は同じじゃない。

おめーそれ、何千回かんがえた?