『ミスト』

ミスト [DVD]

ミスト [DVD]

『ミスト』 監督:フランク・ダラボン 出演:トーマス・ジェーン


霧の向こうにはたして恐怖はあったのだろうか。いや、もちろん怖いんだけども、スーパーマーケットの外(霧の向こう)に対する恐怖は中盤あたりで頭打ちになる気がする。たとえばモンスター侵入時の討伐は、「倒せるんだ」という、恐怖の対象が明確になったある種の希望を生んでいるし。その後、無謀にも薬を調達しにべらんめえって感じで外出するし。外部ではなく、なおも変容し膨張していく恐怖は内部にある。つまり人間と人間の間に恐怖は増幅する。
内部の恐怖から、人間と人間の間に増幅する恐怖から逃れるために、彼らは「勇敢にも」ではなく「恐怖に耐え切れず」霧の中に入るのではないだろうか。現に、外に出ることを選択する者は常にマイノリティである。子供を救いに行った女性。都市部から来たヨソ者の黒人弁護士。最後には、主人公ら無神論者たち。
そして、外は進むか退くか、そこに迷いはなくなる。突き進むか、引き返すか、薬を取ってくるか、モンスターから逃げるか、車に乗るか、自決するか、霧の中は常に「行動」のみが先行し、「選択」は見えない。外に出ること、霧の中を進むことは、すなわちある行動を決定付けされるということだ。行動パターンを入力して、戦闘に入ったらオートで進行するRPGのように、あの薄いガラス扉を開けることは、「選択」を放棄することを意味している。生贄にされた軍人を思い出してほしい。彼は「選択」を奪われる、すなわち強制的に外にでるのだ。我々は、「選択」を与えられている限り常に恐怖を傍らに置いて世界を生きなければならない。では我々はミスト(霧)に何をみる?
ミスト(霧)とは、「選択されなかったほうの未来」を可視化したものではないか。
あらかじめ未知があって、人類はそれをひとつひとつ埋めて世界は更新拡張するのか。いや、人間の「選択」こそが未知を生むのである。「選択」はなんにせよ、「選択したほうの過去」と「選択しなかったほうの未来」を生み出す。「選択したほうの過去」が世界を世界たると記録し、世界を拡張させる。だが同時に、「選択しなかったほうの未来」が世界に埋めれない場所をつくり出すのである。我々は「選択」がある限り背負わされる、「選択しなかったほうの未来」という空白を永久に抱えていくのだ。そして空白は増え続け、それは積もる塵のように世界を覆う。絶対の空白として。
白ヌキの部分に絵が浮かび上がるトリックアートのように、我々は我々の空白にはじめて神をみる。逆を言えば、「選択したほうの過去」がすべてを埋めることが出来ないからこそ、我々は神をみようとできる。見えないものが突然立ち現れるには、そこに何かがあってはならないのだ。ババアが言うとこの神ではなく、我々が生み出した絶対の空白こそが(固有の神ではなく)概念としての神なのではないか。
そう「選択」による未知に、神をみるのだ。