『007/慰めの報酬』


007/慰めの報酬』 監督:マーク・フォースター 出演:ダニエル・クレイグ オルガ・キュリレンコ


復讐に復讐を重ねてもキャンバスは黒くならない。ひとつの復讐はその軽薄さに耐えかねて因果を重ねる。その重力に深刻を。その一巡に真実を。だけども一向に映画は塗り重ならない。アクションが表皮を剥いで、真ん中にダニエルを居座らせるだけ。
主人公が出てこないシーンが、スクリーンに主人公が居ないことの意味してしまう場合がある。バットマンが居ないとき、それはジョーカーが活躍するときであるが、この映画ではそれは、ダニエルの不在通知である。映画がひとりだけのイスを用意するとき、世界は法則を生む。反復され退屈であることの美しさよ強さよ。『007/慰めの報酬』は自らの未来をそう予言する。復讐が画面に何かを埋めることはない。魂に決着はなく、そこには浸食輪廻があるだけ。新たな平原には、スーツを血に染め生傷を晒し、「変わらぬ」ダニエルが平然と座っているのだ。
ダニエルが復讐に向かって殺しを重ねるたびに、映画は彼が復讐に対し底抜けに無関心であることを暴いてしまう。復讐はやがて殺戮を目的化してターミネーターを生むのであれば、この映画の陽気さは、一体なんだろう。それを言うのであれば、冒頭のアクションシーンから彼は既にターミネーターである。行動の明瞭さは、動機の強靭さに裏付けされない。映画にダイエルが居たということに、彼の動機は関与できたのか。いやできないのだ。