『ウルヴァリン SAMURAI』

Wolverine

Wolverine

ウルヴァリン: SAMURAI』  監督:ジェームズ・マンゴールド 出演:ヒュー・ジャックマン TAO 福島リラ 真田広之

あらすじ:カナダの山奥で隠遁生活を送るウルヴァリンことローガンのもとに、彼の旧友でもある日本の大物実業家・矢志田の使者が現われる。余命わずかの矢志田は、命の恩人であるローガンに最後に一目会いたいと願っていた。日本を訪れ、病床の矢志田と再会したローガンだったが、矢志田はまもなく“君の永遠の命を終わらせてあげる”との謎の言葉を残して息を引き取る。その後、葬儀に参列したローガンは、謎の武装集団に狙われた矢志田の孫娘マリコを救い出す。執拗な追っ手をかわし、一緒に逃避行を続ける2人はいつしか恋に落ちる。またやがて、戦いの中で、自らの不老不死の肉体を支えていた驚異的な治癒能力が失われていることに気づくローガンだったが…。
<allcinema>

  • 誰かが見ていてくれていることの、世界の外側から見られるということへの希求。自分が生きてきたことの連続性なんて、あやふやで確かさを持ち得ないし、いとも簡単に断ち切られるものではないか。例えば個人が帰属する場所において、そうした枠の中からでは常に覚束ない、危うさを持ってしまう感覚。冒頭、ローガンが捕らわれている穴から見える光景、爆弾が落ちる場所と、間にはハラキリの日本人。再び訪れた日本で、マリコとの逃亡先で、彼はまた同じ場所に立つ。そこから見えるのは、焦土から回復した町と、間には、あの時に失われなかった命が繋ぐ新しい生命があるという。ローガンは我々とは生きる時間が違う部外者、世界の外側に近い者。ローガンが見た光景は、誰かから見る世界ということ。ローガンが目撃したことによる過去と現在の連続は、彼によって行われる反復は、たとえデタラメであっても、まったくの無意味であっても、ただ単純に、お前は生きてきたんだということを告げられるようで、ああ確かにあったんだというような感覚を持ち得てしまう。
  • またそれ故かどうかわからないが、映画に出てくる忍者たちにすごく惹かれてしまう。内側からは幻の中に生きていたものが、外側からは確かに存在するということ。東京のビル群に潜んだり、屋敷を音もなく制圧したり、距離を取って集団でローガンを仕留めるところとか、同じ世界の中で忍者が堂々と忍者であったのが、とても良かった。