『マリー・アントワネット』

マリー・アントワネット (通常版) [DVD]

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マリー・アントワネット』 監督:ソフィア・コッポラ 出演:キルスティン・ダンスト

映画全体としてパーティの喧騒よりパーティの終わりに重心を置いてる作りに、非常に納得がいく。僕らのストックするあの日の思い出で今でも鮮明に焼き付いている風景というのは、馬鹿騒ぎの最中ではなく、パーティの後の風景ではないだろうか。思い出せるのは、そんな切ない風景だけ。覆面パーティのドキドキよりも、そこから朝帰りするときの風景の美しさのほうが、観客の記憶に刻まれる。青春とは、打ち上げられる花火の閃光よりも、上から落ちてくるパラシュートのようなものなんだろう。
この映画は、あるひとつのパーティが終わったかのように締めくくられる。あそこでのキルスティン・ダンストの「バイバイ」が、感傷的でありながら、どこかたくましく見えるのはなぜだろう。でもそれは、冒頭の10分ですでに分かりきったことであった。僕がこの映画を好きなのは、「ここは虚構かもしれない。でも現実にここで生きてるわけだから、精一杯ここで生きてみよう。」という決意がないからである。思えば、決意しなければ現実を肯定できない映画ばっかな気がする。そんな決意など必要ない。「お前はここで生きていく」、その前提を、疑いもなく受け入れてる人間のたくましさが、ここにはあるのだ。
環境はまったく違うけれど、この映画のマリー・アントワネットが感じる喜びや悲しみのすべては、僕らが日々感じているものとまったく変わらない。この映画は普通の女の子の物語だ。そしてその視点は、映画としてありふれた、なんら新しいものではないだろう。だが終盤の、退屈そうなマリー・アントワネット→フェルゼン伯爵で妄想する→夫に断って部屋を退出→ベッドルームまでダッシュ!というシーン。ここはちょっとびっくりした。言わば、ただそれだけのシーンであるが、日々の何気ない喜びを「再発見」するでもなく、日常に埋もれてしまう輝きに「フォーカス」するでもない、そのまんまとして映画のクライマックスにしたのである。そう、ストロークスの曲を乗っけてまで。僕はこの映画を愛さずにはいられない。この映画は、ベッドルームを愛するすべての人たちのためにあるのだから。