『サマーウォーズ』良かったところ(ネタバレ)


  • タイムラグこそが物語をドライヴさせるのだという当たり前を改めて気付かせてくれた

まずはカズマについての物語が、もっとも身近にあるタイムラグかもしれない。彼の言葉が「勝ちたい」から「守りたい」にいつの間にか変わっているのはぐっときてしまった。「家族(一人前)として認められる」ことと「家族であると自覚する」ことの訪れはいつだったのだろう。もちろん「徐々に」というのが答えだろうけど、彼は自分の変化をその始まりには気付けなかったはずだし、また私たちが目撃する変化は始まりであるのか経過であるのか知るはずもないのだ。つまりこの微かな時間差の断層こそが、成長譚あるいは通過儀礼の物語なのではないかということ。タイムラグによる摩擦こそが葛藤であり成長であるということ。
侘助についての物語はどうか。それは「過去に意志が出発したまま、現在に遅れて行動が辿り着く」というタイムラグだ。「家族である」という意志がとっくに出発して行動を置き去りにし、もはや追いつくことはないと思われたものが重なるからこそ、ばあさんの死後、食卓を囲む陣内家にさりげなく侘助が加わってるシーンは感動的である。重なりは劇的でなくていい。本来あるべきものに戻っただけなのだから、「静かにさりげなく」なのだ。
そして主人公の場合は、「未来に意志が置かれ、現在に行動だけが先行する」タイムラグだろうか。当然であるが、主人公は(陣内家を含めた)全世界を救うために立ち上がるのだし、あるいは単純に「負けたくない」という男の意地を奮わせただけかもしれない。少なくとも「陣内家」としては戦っていない。また陣内家も彼を家族とは思ってないし、この先家族になるかもなんてことは想像すらしないだろう(彼氏というウソはすぐバレる)。そりゃそーでこんなことをあらためて言う必要はない。だが私たちが見たものは紛うこと無く家族の一員としての彼なのだ。さらに言えば、ラストシーン(鼻血ぶー)が終幕の先を指し示してくれるはずはないのである。ありゃオマケだ。たとえばこれは東西・ジャンルを問わず絶えず語られてきた「無自覚な救世主」パターンのようなものであるかもしれないということ。「行動」だけが独走し、その意味は周囲の人間だけが受け止める。未来に彼が家族になることを決意し、陣内家の面々がそれを承認する「意志」は遥かに遅れて当然映画には間に合わない。先行する「行動」だけが「意志」を置いて物語に立ち現れる、そのタイムラグこそが画面に映る「現在」に奥行きを与え、着地の向こうの背景を引き伸ばすのである(語られるものだけで物語は留まらないし、映るものだけで映画は抑えられない)。

  • グッジョブ犬

当たり前は気付きにくいものである。ばあちゃんの死の始まりとも言える、朝早く犬が吠えるシーン。あれはほとんどの人が「田舎の風景」としてデジャヴしてしまうシーンではないだろうか。あるいは何か起きてしまったことを告げる定番シーンとして。だが当たり前すぎてその効果について流してしまいがちである。「何か決定的なものが訪れる」ときの「予兆」とそれを「運んでくるもの」は、別々である場合がほとんどで、一体してやってくることは(少なくとも俺がすぐには思い出せないほどには)稀だろう。たとえば、霧がたちこめる(予兆)→服がボロボロで血だらけの女が叫びながら逃げてくる(運んでくるもの)→モンスター出てくる(決定的なもの)、という風な感じである。ではあの犬はなんかっつーと、「予兆」と「運んでくるもの」を同時に表しているんではないか。直後に廊下で騒ぎ出す女こそが「運んでくるもの」ではないかと思うかもしれないが、あれが何よりも「すでに運び込まれてしまった」ことを、「すでに始まっている」ことを、告げているのである(あの微妙に遅いタイミングが何より)。寝起きの主人公の主観画面にまっさきに目に入る犬という構成の巧さによって改めて気付かせてもらった。んで更には後半だよ。人工衛星が陣内家に落ちてくるのだけど、そこでなんとさっきの犬が「決定的なもの」としての役割も担ってしまうのである。パソコンの映像に犬が映ることが、人工衛星がここに落ちてくることの「決定」なのだ。犬優秀すぎる。

  • 敗北のバリエーション

暗算に切り替えるの場面が良かったけど、疲れたから後で・・・。