『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』


ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 監督:デヴィッド・フィンチャー 出演:ブラッド・ピット ケイト・ブランシェット


(ネタバレ)

出会うことそれはまるでスポンジが勢い良く吸い込むようなもので、出会うことそれ自体の瑞々しさと他者の人生のパッションが、主人公の成長のそれぞれのステージで(人生はジェットコースターではないけれども)しっとりと綿密に語られていく、且つ時代を超えそれぞれの出会いが彼の中に密接に折り重なっていくような錯覚をみてしまう、人生があることの「どうしようもなさ」と「幸福」を同時に噛み締める、慎ましくも懐の深い佳作である。「生涯を全うすること」の圧倒的な物量を何ら制限することなく放流させ、且つ淀みなくすべてを飲み込むという、濃厚でいてしなやかな2時間30分。
しかし、たとえば俺なんかをグッと惹きつけるものはこの映画の根底にある不吉さだったりする。視認できないまでに切り刻まれ映画中に散布されたかのような、絶えず在るが人知れずひっそりと呼吸する「不吉さ」。ベンジャミンの生涯は、常に「呪われている」ゆえ成立しているというのが、この物語を特別なものにしているのかもしれない。それは出会いの祝福とセットで訪れる残酷な運命である。いや、人生というものはそうゆうものであって、ベンジャミンの場合に色濃く映し出されているだけだろうか?そう彼はまるで「他人の生命を吸い取って生きている」。
わかりきったことだが整理すると、

  • いつまで生きれるかわからないと言われ続けた車椅子の幼年期と同居老人たちの死。
  • 二足歩行と牧師の死。
  • 戦争と船員の死。
  • 父親の死とその後の放蕩生活。
  • 彼の生きた証=「日記」を読んで訪れるケイト・ブランシェットの死

そもそも時計が逆回りするって不吉である。関係ないけど、潜水艦にエンヤコラ向かうときの夜の海が最高に禍々しくてカッコよかった。機関銃の弾が暗闇にシュンって光って、ドスンと鉛の重い感触に余韻もない、不寛容で無思慮な、鋭く重い暴力を演出してたと思う。最近、対テロの市街戦しか観てない気がしてちょいとデカめの兵器っつたらRPGなんだよなあ。RPGのもっさり感とは対極で新鮮だった。(『ワールド・オブ・ライズ』然り『キングダム』然り、対テロアクションで「RPGがくるぞおおおお!」って叫ぶのお約束ギャグみたいになってるよね。あれは好き。)